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「麻の葉」第53号

2023/09/30 (Sat) 17:30
麻布教育研究所長通信「麻の葉」第53号

学校教育関係者と話していて、なかなか埋めがたい溝というものを感じる
ときがあります。教育についての信念のようなもので、どちらが正しいと
いうわけではなく、教育観の違いであるのですが、難しいものです。

ときに出会う信念に、「教育には競争が必要である」というものがあります。
子どもは競争があるとやる気を出す、社会は競争なのだから学校で競争に
慣れさせておかねばならない、競争させなければ子どもは怠ける、等々の
考えから、そのように思うらしいです。そういうのを聞くと、私はいじわる
な性分なので、「あなたは競争がなかったら怠ける人なのですか」とか訊き
たくなってしまいますが、そこはまあ黙って聞いておきます。

すると、面白い意見に接したことがあります。
「スポーツだって競争があって勝ちたいから、皆、努力するじゃないですか。
競争は努力の源です。村瀬さんもスポーツ好きでしょ?」

ああ、たしかに私はスポーツが好きです。中学校でも運動部でしたし、大学
では体育会(東大の場合は運動会と呼びますが)に所属しておりましたし、
それ以外にも趣味のスポーツは多くあります。もちろん私も上手くなりたい、
勝ちたいと思い、努力をしてきました。
しかし、スポーツに競争があるから努力するということと、教育に競争が
必要であることは、論理的に接合できることなのでしょうか。

私の答えは、半分イエスで、半分ノーです。
ほんとうは、競争には2種類あるのではないかと考えます。
内なる競争と外からの競争です。

人は、内なる競争に突き動かされるとき、努力します。内なる競争とは、
「もっと上手くなりたい」とか「前回負かされたあのチームにこんどは
勝てるチームになりたい」という「昨日の私との競争」です。そういう
気持ちはごく自然なものであると思いますし、じっさい私もそのように
して多くのスポーツを楽しんできました。

外からの競争とは、やらされる競争、脅迫される競争です。ここで負け
たらダメの烙印が押される、これをクリアしないと何かを失う、そういう
外からの条件が押しつけられ、意思とは離れて強制される競争です。
こういう競争が好きな人は、あまりいないのではないでしょうか。

こう考えると、今の学校での競争は、内なる競争ではなく外からの競争
であることに気づきます。人は外からの競争では努力はしないのです。
参加する意思はなく、もちろん努力したいとも思っていないのに、
競争に参加しないと責められるから、イヤイヤ参加しているだけです。
「教育に競争が必要だ」と唱える人は、その強制参加の競争を勝ち残り、
結果的に後から回顧するとそれが内なる競争だった、自分は努力をした
のだと述懐できる希有な条件をお持ちの方であるにすぎません。
その生き方を、私は肯定も否定もしませんが、ただ言えるのは、その
生き方を全ての子どもにはおしつけないでください、ということです。
貴方がたまたま幸運だっただけなのです。

学びに必要なのは、内なる競争です。「この問題を解いてみたい」
「こんなことができる自分になりたい」と思う気持ちは、たしかに
学びの原動力になり得るでしょう。

もう一つ、本物のスポーツの内なる競争が楽しいのは、それが安全な競争
であるからということを覚えておく必要があります。ラグビーの試合に
負けても、ゴルフでトリプルボギーをたたいても、命は奪われませんし、
誰かに馬鹿にされたりもしません(グリーン上で仲間から軽口を言われる
かもしれませんが(笑))。安全だから、人はじゅうぶんに内なる競争が
楽しめるのです。

つまり、学校こそは、子どもたちに安全な内なる競争をたっぷり味合わせ
てあげるべきところであり、外からの競争は注意深く避けるべきです。

内なる競争と外からの競争を混同する人々に、惑わされてはいけません。
努力という内なる競争を、外からの競争で無理やり引き起こそうという
間違った信念は、何かが根本的にずるい発想であるように思えます。

いまワールドカップで盛り上がっているラグビーに、アフターマッチ
ファンクションというものがあるのをご存知でしょうか。ラグビーでは
試合終了を「ノーサイド」と呼び、その瞬間から敵味方がなくなるという
ことを聞いた方もあるかもしれません。アフターマッチファンクションは
その延長上にあり、試合後に両チームが集い、お互いの健闘をたたえ合い、
またプレーを振り返ったりするものです。
https://nordot.app/1074635971059794243?c=113147194022725109
これは、試合のために形成された敵味方という仮構を、試合後に解きほぐし、
両チーム全員を内なる競争の仲間に転換する仕組みです。
これこそが、スポーツという文化の本質です。

日本で幼児児童がプレーするミニラグビーの規定が配布されたときにも、
つぎのような添付文書がありました。
https://rugby-japan.s3-ap-northeast-1.amazonaws.com/wp-content/uploads/2018/05/U-12_mini_rugby_rule_2018.pdf
3頁冒頭に、アフターマッチファンクションについて言及されています。

近年、高校野球でこれを取り入れるムーブメントがあるそうです。
https://media.spportunity.com/?p=12674
トーナメント戦ではなくリーグ戦で、試合後には両チームが語り合うという
ものだそうです。

囲碁や将棋をする方なら、「感想戦」ということで伝わるでしょう。
テレビで見たこともあるかもしれませんが、プロ棋士が対局後にまた石や
駒をならべて、「こう打ったらどうしました?」「この指し手もありで
したかねえ」などとお話しているあれです。

そうすることによって、囲碁・将棋でも高校野球でも、敵味方は内なる競争
を追求する同志になることができるわけです。

スポーツが教育の一部として成立する基盤は、内なる競争に求められるべき
であり、敵を打ち負かせという欲望に駆られた、外からの競争を煽ったところ
にはありません。ましてや学習そのものが、外からの競争で促されるわけは
ないのです。

村瀬公胤
一般社団法人麻布教育研究所 所長
murase@azabu-edu.net