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「麻の葉」第52号

2023/07/31 (Mon) 13:00
麻布教育研究所長通信「麻の葉」第52号

前号のメルマガは、各所で論議を呼んだようです。様々な方から、感想
をいただきました。私としては「子どもを成長させようとする意思一般」
を否定する意図はなかったのですが、それでもやはり、教育という営み
に不可避なディレンマ(育てたい=対象を操作したい?)について考察
する痛みは、避けられないのかもしれません。ある人からは「刺さった」
という感想をいただきました。

先日、ある小学校で興味深い事例に遭遇しました。昨年、新卒で着任した
若い女性教員は、初年度から1年生担任を任され、苦労していました。
子どもたちは学習に集中できず、指導の声も届きません。彼女の強ばった
表情が私の記憶に残っていました。その彼女が、同じ学級を持ち上がって
の2年目です。教室は見違えるように朗らかな空気に溢れ、彼女の優しい
言葉から、子どもたちのワクワクするような学習が生まれていきます。
もう彼女は大きな声をはりあげることもありません。いつも笑顔です。
いっしょに参観した校長先生と私は、ほとんど涙ぐみそうな思いで、
その教室を眺めていました。

参観後の校内研で、私は思わず聞いてしまいました。「この1年間に、
何か起きましたか」と。彼女の答えは、「1年の3学期ごろでしょうか、
自分のやりたい授業をしようとしてもムリなんだなと気づきました。
あきらめて(笑)、あの子たちがやりたい授業をしようと思いました」と
いうのです。「それ以来、なんか楽しくなってきました」と。
私は、初任でその心境に達したことに感嘆しながら、ひとりの教師の
誕生を言祝ぎました。

私が教室の問題を見るときに、つねに念頭においている概念、視点があり
ます。それは、教師と子どものマッチング、相性という視点です。これは、
私が東大の学部生~院生時代に近藤邦夫先生の研究から学びました。
近藤先生は臨床心理学の研究者であるとともに、自身もカウンセラーであり、
東大に着任されてからは、学校臨床心理学という新しい領域を構想された方
でもあります。

近藤先生の言うマッチングという視点は、教師と「ウマが合う/合わない」
子どもがいるという、およそ教師には認めがたい前提から始まります。
よく動き廻っている子どもを見て、「落ち着きのない子どもだ」「自分を
コントロールできない子どもだ」と見る先生もいれば、「元気がよい子
だなあ」「いろいろなことに興味があるのだなあ」と思う先生もいると
いうことです。「ダメな子・よい子」が存在するのではなく、先生の教育
信念や学級文化と子どもとの間の「相性」やズレの問題であると考える
視点です。

近藤先生は、「教師用RCRT(Role Construct Repertory Test)」という
手法を開発しました。それは、先生が無意識に持って子どもを見ている
モノサシ(Constructという評価軸)を、質問紙尺度と因子分析によって
明らかにすることができ、学級のすべての子どもたちがその評価軸のどこに
位置しているのかを図示できるようにするものでした。それを見て、先生は
自分を振り返ることができます。そうすると、「困った子」に見えていた子は、
先生の評価軸での相対的な距離の問題であることに気づかされます。
(『子どもと教師のもつれ』近藤邦夫、岩波書店、1995年)

これは、学校の現実としてもよくある話で、前の担任が「きっちり系」で
今年の担任が「自由放任系」というケースを見ることがあるでしょう。
前の学級では、まじめで指示に従う子が活躍して賞賛される一方、元気な
子は抑圧されます。こんどの学級では、まじめな子が指示待ちで消極的で
あると指導の対象になり、元気な子は生き生きと活躍できたりします。
自分の教育信念が絶対のものではなく、相対的なものであることに気づく
ことは、教師にとって最重要の課題だと思います。先述した初任の先生の
すばらしさは、そこへの直観が働いたことにあります。

近藤先生のこうした研究の背後には、千葉大学に赴任されてからの、ご自身
の教師(大学教員)としてのご経験があるそうです。カウンセラーであった
ころには、相手の成長をたのしみに待ち、寄り添っていたのに、大学教員に
なってみると、そのような姿勢がどんどん失われていくことに気づき、愕然
とされたそうです。

「私が学生を見る時に、表面に現れた彼らの行動が社会的ルールに合って
いるか否かという視点が比重を増し、ルールに合っていればすべてがOK
であるかのように感じて安心し、逆にルールに合っていなければ、その
行動だけを叱ってすべてがすんだ感じになることが増えた」と感じ、
「カウンセラー時代の自分からは想像もできないほど『小うるさい』人間、
『険しい顔』をした人間に次第に変化し」ていることに気づいたそうです。
東大着任後の近藤先生(愛称:ムーミンパパ)しか知らない私には、驚きの
ことです。(https://irdb.nii.ac.jp/00926/0001783481 参照)

逆に、それだからこそ、近藤先生は、教師という仕事の困難に深く共感する
ともおっしゃいます。
「教師という役割の中に、ともすれば自分の正当性を頑固に主張もしくは
確信していないと、立っていられない、あるいはやっていけないような
ストレスフルな何か」があり、それは教師という職業が「権威性」を帯び
ないと成立しない構造を持っていることへの洞察です。
しかも、その権威は、「日々の教室場面で、ことあるごとに傷つけられ、
脅かされ、失墜させられる」ものでもあるといいます。
だから、「自分の地位と形をことさらに大きく高く強く膨らませ、相対的に
生徒の存在を小さくし、生徒の中に恐怖を引き起こし、懲らしめ、締めつけ、
居丈高に力づくで相手をねじふせよう」とせざるをえないことになります。

近藤先生は、教育相談で「教師の大きなどなり声に体がすくんでしまって、
学校に行けなくなった子」に出会うとき、「子どもの怒りや苦痛とともに、
そのようなあり方に追い詰められてしまった教師の苦しさを感じざるをえない」
とおっしゃいます。
(『学校臨床心理学への歩み:子どもたちとの出会い、教師たちとの出会い』
近藤邦夫著、保坂亨ほか編、福村出版、2010年)
https://amzn.to/47mC94C

もしかしたらですが、上述した初任の先生の成長は、先生が追い詰められ
ない環境、その学校の文化のおかげであるのかもしれません。学校全体が、
ケアリングと対話に満ちている空間であるならば、子どもと同じく先生もまた
追い詰められずにすむのです。そういう学校で、あの初任の先生もモノサシ
を豊かにすることができ、自分のやりたい授業を手放す勇気を持てたので
しょう。そう思った私は、先生の誕生を言祝いだあとに、先輩の先生たちに
よき学校文化を創造してきた歴史への感謝をお伝えしました。

村瀬公胤
一般社団法人麻布教育研究所 所長
murase@azabu-edu.net