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「麻の葉」第49号

2023/01/31 (Tue) 22:00
麻布教育研究所長通信「麻の葉」第49号

以前から考えていたことの一つに、「教師向け用語集」みたいなものが
書けたらいいなあというのがありました。学校の先生が知っておくべき
用語とか概念を解説するようなシリーズです。
そうすると多くの先生が、「主体性」とか「深い学び」などを想像するかと
思いますが、私が第一に書きたいと思うのは、「パターナリズム」です。
パターナリズムこそは、教育に携わる人が知っておくべき概念の筆頭である
と思っております。

パターナリズムと言っても、多くの方には馴染みがないと思います。
語源的にはpaternalismのもとになったpaterとはfatherのことであり、
父権主義などと訳されることがあります。ただ、具体的に父親に関わる
話ではなく、イメージとして「弱者を強者・権威者が庇護する」という
意味合いにおいての「父」のあり方を指しています。
(西洋の文化で言えば、父なる神およびその権威をまとった神父です)

哲学的には、150年以上前にJ. S. ミルの『自由論』などに登場した概念
(ミル自身はパターナリズムの語を使ったわけではないそうです)で、
その後、哲学や法学、そして医学などの分野でずっと議論されてきました。
近代は基本的に個人の自由を最大限に尊重する文明社会ですが、それが
制約または干渉されうるケースがあるかどうか、というテーマです。
要約すると、
「その強制を受ける人の福祉、善、幸福、必要、利益または価値と
もっぱら関係する理由によって正当化される、ある人の行為の自由への
干渉」(Dworkin, 1971)
「ある個人の利益になるという理由で、その個人の自律性が制限される
干渉を行うこと」(谷本, 1994)
などのように定式化されています。

よい例かどうかわかりませんが、「車に乗るときにはシートベルの
着用が義務になる」というような例があると聞きます。本人がしたく
ないと言っても、明らかに本人を守るために、シートベルトをしない
自由が制限されるというお話です。
法律とは、つねに個人の自由と制限について検討するものですから、
とうぜんにパターナリズムが問題になります。

医学ではどうでしょうか。私は専門ではないので精確に書けるかどうか
あやふやですが、「患者本人の意思にかかわらず、医師が最善と考える
治療法を適用すること」というような場面が想定できるかと思います。

原則として、こうしたパターナリズムはできるかぎり避けるべきものと
近代の法学、法社会学では考えられてきました。
また、医学でも、インフォームドコンセントの考え方にあるように、
基本的にはパターナリズムは避けられるのがいまの動向であろうと思い
ます。
それでもやはり、パターナリズムのような姿勢が必要なこともあるで
しょうし、じっさい、パターナリズムはどのような基準で正当化される
のかといった議論は、現在もこれらの学問分野で続いています。

さて、ここまでお読みになって、パターナリズムの概念が教育実践者に
とって重要であることが見えてきたでしょうか。
教育こそは、パターナリズムの権化のようなものです。相手は乳幼児から
青少年であり、こちらは大人、教師です。教え導いてやることがこちらの
責務であって、そのために心をくだく人が、優れた教育実践者であると、
ふつう思われています。

そのこと自体に間違いはないのだと思いますが、しかしそこに、相手の
自由を制限しているという感覚は伴っているのか、そこがとても心配です。
法学や医学の分野では、強い葛藤を乗り越えてでもパターナリズムを
発揮するべきときがある・ないという議論が繰り返し行われているのに
対して、教育学また教育の現場ではどうなのか、という問題です。

最近話題になっている、校則の問題もパターナリズムです。「中高生は
まだ倫理的判断も社会常識的判断も劣っているから、校則に従わせる
ことで彼・彼女らを守るのだ」という論理で校則は成り立っています。

また、おそろしいことですが、体罰をする人はほぼ必ず、「その子の
ためを思えばこそ」やっているのだと言います。これが教育業界にある
パターナリズムです。

そして、当メルマガでここしばらく追いかけている特別支援教育も、
「その子のために特別支援学校・学級を用意しました。どうしてそちら
を選ばないのですか」と行政が迫ってきます。これがパターナリズム
です。

教育という営みは、不可避にパターナリズムを抱え込まざるを得ません。
それは否定しようがないでしょう。

ただ、だからこそ、つねに私たちは自分が行っている実践が相手の自由を
束縛しているかもしれない可能性について、自覚的でありたいと思うのです。
学校という場所に集めて、1時間ごとの単位で授業を受けさせている時点で、
義務教育はパターナリズムなのです。そうであれば、その中身については、
できるかぎり個々の子どもの自由を損なわないことを基準に構想されるべき
と思いますし、具体的な実践場面でもつねに自分を振り返るべきだと思う
のです。

法学や医学の分野では、自律autonomyを担保するためのパターナリズムは
ありなのではないか、というような議論が最近の思潮なのだそうです。
昨年12月にようやく公表された「生徒指導提要」の改訂版では、子どもの
選択に指導の基礎を置く組み立てになっています。指導するとは、子どもに
選択肢があることを提示し、よりよき選択ができる主体になることを支援
することだと言います。まさに自律を担保するためのパターナリズムの
考え方でしょう。これが、不可避にパターナリズムを抱える教育における
ぎりぎりの実践であると思います。
https://www.mext.go.jp/a_menu/shotou/seitoshidou/1404008_00001.htm

以上のように、これからの特別支援教育や生徒指導について真剣に考え
ようとするならば、パターナリズムの概念について知っておくことは
必須であると考えております。

村瀬公胤
一般社団法人麻布教育研究所 所長
murase@azabu-edu.net