「麻の葉」第44号
2022/03/31 (Thu) 23:01
麻布教育研究所長通信「麻の葉」第44号
前回、スポーツと育成の関係について書いたところ、この2ヶ月の間に
大きな出来事がありました。日本柔道連盟が、小学生の全国大会を廃止
するという発表です。
https://www.judo.or.jp/news/9766/
オリンピックでも人気の超メジャースポーツの一つとして、他の競技にも
影響は大であろうと思います。
なお、発表文には、「行き過ぎた勝利至上主義が散見される」との理由が
述べられていますが、それは児童期のトーナメント大会のデメリットの一部
でしかなく、ここに至っても精神主義的な把握にとどまっていることが
少々気になりました。と思っていたら、陸上の為末大さんが、問題点を
明解に語ってくれました。
https://twitter.com/daijapan/status/1504769315031351296?ref_src=twsrc%5Etfw
そう、参加する子ども本人にも、当該スポーツの将来のためにもよくない
のです。その上でさらに、勝利至上主義の暴言や乱暴な指導がまかり通る
から、全国大会がいけないのです。
為末さんも言及していますが、ヨーロッパではすでにいくつかの競技で
児童の「トーナメント禁止」ということになっていることを、私も聞いた
ことがあります。ソースを見つけられなかったので、これまで取り上げられ
なかったのですが、もしどなたかご存知でしたら、教えてください。
さて、指導の健全化に関しては、学校教育分野ではさらに大きな出来事
が今年行われる予定です。それは、「生徒指導提要」の改訂で、今年の
夏ごろにも示される日程になっています。
3月29日の「生徒指導提要の改訂に関する協力者会議」(第7回)の
配付資料としてその試案が公開されました。
https://www.mext.go.jp/b_menu/shingi/chousa/shotou/168/siryo/1422639_00010.htm
平成22年の制定から10年以上経ったいま、現代の生徒指導にふさわしい、
大規模な改訂となっており、関係者からも期待の寄せられているところです。
重要な点の一つに、子どもの権利、人権に関する記述があります。
具体的には「1.5.1 児童の権利の理解」という節で、「まず、第一は、
教職員の児童の権利に関する条約についての理解です」と始まり、児童の
権利に関する4つの原則が述べられています。
1.差別の禁止、2.児童の最善の利益、3.生命・生存・発達に関する権利
までは、すんなり読めるかもしれませんが、4.意見を表明する権利 について
はどうでしょうか。「子どもが意見を言う」ということに、何かの抵抗感を
持ったりしませんでしょうか。
私はつねづね、学校で起こる非倫理的かつ非合理的な事象は、制度の不備と
いうシステムの視点でも、個々人の意識の低さというパーソナルな視点でも
説明できないと思っていました。学校という空間のデザイン原理が根本的に
間違っていて、たとえば体罰という不祥事を起こす教師もその犠牲者だと
思っています(やった行為を擁護するつもりは全くありません)。一斉に
集団がコントロールされる必要があれば、ノイズはできるだけ減らすべしと
考えるのが局所合理的な判断であり、だからこそ今に言う「ブラック校則」が
蔓延り、威圧的な指導が遍在するのは当然の帰結なのです。そんな空間にいる
教師が、子どもに何か言われたら、自分の職務遂行を脅かされると感じても
不思議ではないのです。
しかし、こんどの改訂生徒指導提要は、そこを乗り越えようという意思を
見せてくれました。「集団指導と個別指導」という言辞こそ残っていますが、
捉え方は大きく変わったと思います。H22年版では、「バランス」という
表現でもって、「私」も大切だけど「公」に合わせることも大事であると
指導しなさい、みたいな表現になっておりました。しかしR4年版では、
個の育成のために集団があるというほうに、力点が置かれています。
「バランス」という、鵺(ぬえ)のような奇怪で強者にのみ都合がよい表現
がなくなったことは、隠れた快挙だと思います。
とはいえ、学校空間のデザイン原理はまだ完全に変わるとは思えません。
令和になり、新学習指導要領、新生徒指導提要と、変わるための基盤整備が
整ってきたとして、あと必要なのは何なのかを問う必要があるでしょう。
私のおぼろげな解答は、教師が自律性を取り戻すことだろうと思います。
だから、免許更新講習の廃止からずっと問題になっている教員研修のあり方、
それこそがデザイン原理改革3本の矢の3本目になるのではないかと直観
しています。自律性のない教師が、どうして自律する子どもを育てることが
できましょう。権利が守られていない教師が、どうして子どもの権利を守る
ことができるでしょう。競争と強制という、スポーツ業界にもそしてこの国
全体にも通じる社会原理を、学校から解体していくべきときだと思います。
村瀬公胤
一般社団法人麻布教育研究所 所長
murase@azabu-edu.net
前回、スポーツと育成の関係について書いたところ、この2ヶ月の間に
大きな出来事がありました。日本柔道連盟が、小学生の全国大会を廃止
するという発表です。
https://www.judo.or.jp/news/9766/
オリンピックでも人気の超メジャースポーツの一つとして、他の競技にも
影響は大であろうと思います。
なお、発表文には、「行き過ぎた勝利至上主義が散見される」との理由が
述べられていますが、それは児童期のトーナメント大会のデメリットの一部
でしかなく、ここに至っても精神主義的な把握にとどまっていることが
少々気になりました。と思っていたら、陸上の為末大さんが、問題点を
明解に語ってくれました。
https://twitter.com/daijapan/status/1504769315031351296?ref_src=twsrc%5Etfw
そう、参加する子ども本人にも、当該スポーツの将来のためにもよくない
のです。その上でさらに、勝利至上主義の暴言や乱暴な指導がまかり通る
から、全国大会がいけないのです。
為末さんも言及していますが、ヨーロッパではすでにいくつかの競技で
児童の「トーナメント禁止」ということになっていることを、私も聞いた
ことがあります。ソースを見つけられなかったので、これまで取り上げられ
なかったのですが、もしどなたかご存知でしたら、教えてください。
さて、指導の健全化に関しては、学校教育分野ではさらに大きな出来事
が今年行われる予定です。それは、「生徒指導提要」の改訂で、今年の
夏ごろにも示される日程になっています。
3月29日の「生徒指導提要の改訂に関する協力者会議」(第7回)の
配付資料としてその試案が公開されました。
https://www.mext.go.jp/b_menu/shingi/chousa/shotou/168/siryo/1422639_00010.htm
平成22年の制定から10年以上経ったいま、現代の生徒指導にふさわしい、
大規模な改訂となっており、関係者からも期待の寄せられているところです。
重要な点の一つに、子どもの権利、人権に関する記述があります。
具体的には「1.5.1 児童の権利の理解」という節で、「まず、第一は、
教職員の児童の権利に関する条約についての理解です」と始まり、児童の
権利に関する4つの原則が述べられています。
1.差別の禁止、2.児童の最善の利益、3.生命・生存・発達に関する権利
までは、すんなり読めるかもしれませんが、4.意見を表明する権利 について
はどうでしょうか。「子どもが意見を言う」ということに、何かの抵抗感を
持ったりしませんでしょうか。
私はつねづね、学校で起こる非倫理的かつ非合理的な事象は、制度の不備と
いうシステムの視点でも、個々人の意識の低さというパーソナルな視点でも
説明できないと思っていました。学校という空間のデザイン原理が根本的に
間違っていて、たとえば体罰という不祥事を起こす教師もその犠牲者だと
思っています(やった行為を擁護するつもりは全くありません)。一斉に
集団がコントロールされる必要があれば、ノイズはできるだけ減らすべしと
考えるのが局所合理的な判断であり、だからこそ今に言う「ブラック校則」が
蔓延り、威圧的な指導が遍在するのは当然の帰結なのです。そんな空間にいる
教師が、子どもに何か言われたら、自分の職務遂行を脅かされると感じても
不思議ではないのです。
しかし、こんどの改訂生徒指導提要は、そこを乗り越えようという意思を
見せてくれました。「集団指導と個別指導」という言辞こそ残っていますが、
捉え方は大きく変わったと思います。H22年版では、「バランス」という
表現でもって、「私」も大切だけど「公」に合わせることも大事であると
指導しなさい、みたいな表現になっておりました。しかしR4年版では、
個の育成のために集団があるというほうに、力点が置かれています。
「バランス」という、鵺(ぬえ)のような奇怪で強者にのみ都合がよい表現
がなくなったことは、隠れた快挙だと思います。
とはいえ、学校空間のデザイン原理はまだ完全に変わるとは思えません。
令和になり、新学習指導要領、新生徒指導提要と、変わるための基盤整備が
整ってきたとして、あと必要なのは何なのかを問う必要があるでしょう。
私のおぼろげな解答は、教師が自律性を取り戻すことだろうと思います。
だから、免許更新講習の廃止からずっと問題になっている教員研修のあり方、
それこそがデザイン原理改革3本の矢の3本目になるのではないかと直観
しています。自律性のない教師が、どうして自律する子どもを育てることが
できましょう。権利が守られていない教師が、どうして子どもの権利を守る
ことができるでしょう。競争と強制という、スポーツ業界にもそしてこの国
全体にも通じる社会原理を、学校から解体していくべきときだと思います。
村瀬公胤
一般社団法人麻布教育研究所 所長
murase@azabu-edu.net