「麻の葉」第37号
2021/01/31 (Sun) 22:20
麻布教育研究所長通信「麻の葉」第37号
再びの緊急事態宣言とともに始まった2021年は、ワクチンなど希望のある
ニュースもありますが、依然として苦しい状況は続くようです。この間、私は
一貫して、「コロナ禍」という言葉を自分からは使ったことがありません。
この言葉は、どうも何かを覆い隠してしまっているようで、見るべきことを
見ないようにしたり、考えなければいけないことを考えさせないような言葉に
思えてならないのです。代わりに、「コロナ状況下」または「コロナ下」と
いう表現にしています。
そのコロナ状況下で、学校ももちろんたいへんな苦労をされてきたこととで
しょう。とくに、子どもたちの置かれた状況は、ほんとうに厳しいものでした。
ソーシャル・ディスタンスという名の隔離政策が、無限定に実行されている
ことで、これまで支え合って学びに向かってきた子どもたちの学習は、無残な
までに切り裂かれました。コロナによる他の経済的影響と同じく、この学習
への影響も、より弱い子どもたち、より支えが必要であったはずの子どもたち
から先に強く顕れました。7月から、全国各地の学校さんで、ギリギリの判断
のもとでなんとか私を呼んでくださったところで、そうした子どもたちの姿を
見るたびに、私は胸のつぶれる思いでした。
しかし同時に、そうした状況でもしっかり子どもたちの学びが保障されて
いる、またはそこに少しでも近づけようと努力されている学校にも出会って
きました。いや、そればかりか、どれほど苦しい状況でも学びをあきらめない
子どもたちに、先生たちのほうが励まされることもありました。
ある学校から送っていただいた今年の実践記録でも、そうした姿を見ました。
一昨年、私はその学校の生徒向け講演で、OECD Education 2030プロジェクト
のキーワードである「Agency」(自律的主体)を紹介しました。同校では、
校長先生がその言葉をひいて、ことあるごとに「一歩踏み出す勇気をもち、
失敗をおそれず、新たなことに挑戦し続けよう」と語ってくださっていた
そうです。そんな中に起きた、コロナウイルスの感染拡大です。
校長先生はここでも、先生方に「正解はないのだから、それぞれの立場で
考え、共有しながら、『まずはやってみよう』の姿勢を大切にしたい」と
おっしゃったのだそうです。それにまず応えたのが、4~5月の休校中の
先生たちでした。学校再開後、こんどは子どもたちがそれに呼応するかの
ように、りっぱにAgencyを発揮し、文化祭などを成功させていったそうです。
ここでは一つの学校さんの事例を紹介しましたが、他の学校でもこうした
お話しを多く聞きました。一方で、そういうことが実現することなく、
先生も子どもも苦しいままの学校が多数あることも承知しています。
何が違うのでしょうか。
それは、先生方、大人が「考え、判断し、責任をもつ」主体であるかどうか
です。学習指導要領でも中教審答申でも、また多くの教育をめぐる言説が、
「答えのない時代」の「主体性」と唱道してきましたが、そこで、子ども
の主体性とともに、教師の、大人の主体性は考慮されてきたかどうか、
もういちど振り返る必要があると思います。
コロナ状況があきらかにしたのは、この社会には、指示されないと動かない人と、
自分から動き始められる人がいるということです。
今月私は、遠隔で行われた上述の学校の講演で、中学生さんたちに、
Agencyが「動かすこと」「引き起こす力」が原義であったことを伝えながら、
「世界をつくる、変える主人公になる」ことを提案し、
「私が私の人生と世界の原因になる」人でありたい、そのために中学校で
「学び続ける」習慣を身につけることは一生の宝物になると、お話しさせて
いただきました。
村瀬公胤
一般社団法人麻布教育研究所 所長
murase@azabu-edu.net
※ Agencyについてはこちらを参照
http://www.oecd.org/education/2030-project/teaching-and-learning/learning/
再びの緊急事態宣言とともに始まった2021年は、ワクチンなど希望のある
ニュースもありますが、依然として苦しい状況は続くようです。この間、私は
一貫して、「コロナ禍」という言葉を自分からは使ったことがありません。
この言葉は、どうも何かを覆い隠してしまっているようで、見るべきことを
見ないようにしたり、考えなければいけないことを考えさせないような言葉に
思えてならないのです。代わりに、「コロナ状況下」または「コロナ下」と
いう表現にしています。
そのコロナ状況下で、学校ももちろんたいへんな苦労をされてきたこととで
しょう。とくに、子どもたちの置かれた状況は、ほんとうに厳しいものでした。
ソーシャル・ディスタンスという名の隔離政策が、無限定に実行されている
ことで、これまで支え合って学びに向かってきた子どもたちの学習は、無残な
までに切り裂かれました。コロナによる他の経済的影響と同じく、この学習
への影響も、より弱い子どもたち、より支えが必要であったはずの子どもたち
から先に強く顕れました。7月から、全国各地の学校さんで、ギリギリの判断
のもとでなんとか私を呼んでくださったところで、そうした子どもたちの姿を
見るたびに、私は胸のつぶれる思いでした。
しかし同時に、そうした状況でもしっかり子どもたちの学びが保障されて
いる、またはそこに少しでも近づけようと努力されている学校にも出会って
きました。いや、そればかりか、どれほど苦しい状況でも学びをあきらめない
子どもたちに、先生たちのほうが励まされることもありました。
ある学校から送っていただいた今年の実践記録でも、そうした姿を見ました。
一昨年、私はその学校の生徒向け講演で、OECD Education 2030プロジェクト
のキーワードである「Agency」(自律的主体)を紹介しました。同校では、
校長先生がその言葉をひいて、ことあるごとに「一歩踏み出す勇気をもち、
失敗をおそれず、新たなことに挑戦し続けよう」と語ってくださっていた
そうです。そんな中に起きた、コロナウイルスの感染拡大です。
校長先生はここでも、先生方に「正解はないのだから、それぞれの立場で
考え、共有しながら、『まずはやってみよう』の姿勢を大切にしたい」と
おっしゃったのだそうです。それにまず応えたのが、4~5月の休校中の
先生たちでした。学校再開後、こんどは子どもたちがそれに呼応するかの
ように、りっぱにAgencyを発揮し、文化祭などを成功させていったそうです。
ここでは一つの学校さんの事例を紹介しましたが、他の学校でもこうした
お話しを多く聞きました。一方で、そういうことが実現することなく、
先生も子どもも苦しいままの学校が多数あることも承知しています。
何が違うのでしょうか。
それは、先生方、大人が「考え、判断し、責任をもつ」主体であるかどうか
です。学習指導要領でも中教審答申でも、また多くの教育をめぐる言説が、
「答えのない時代」の「主体性」と唱道してきましたが、そこで、子ども
の主体性とともに、教師の、大人の主体性は考慮されてきたかどうか、
もういちど振り返る必要があると思います。
コロナ状況があきらかにしたのは、この社会には、指示されないと動かない人と、
自分から動き始められる人がいるということです。
今月私は、遠隔で行われた上述の学校の講演で、中学生さんたちに、
Agencyが「動かすこと」「引き起こす力」が原義であったことを伝えながら、
「世界をつくる、変える主人公になる」ことを提案し、
「私が私の人生と世界の原因になる」人でありたい、そのために中学校で
「学び続ける」習慣を身につけることは一生の宝物になると、お話しさせて
いただきました。
村瀬公胤
一般社団法人麻布教育研究所 所長
murase@azabu-edu.net
※ Agencyについてはこちらを参照
http://www.oecd.org/education/2030-project/teaching-and-learning/learning/