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「麻の葉」第30号

2020/01/31 (Fri) 23:34
麻布教育研究所通信「麻の葉」第30号

令和も2年になりました。今年もよろしくお願いします。
令和元年後半の教育界は、大学入試制度改革で大きく揺れました。
当該の政策について、とくにここで論評するつもりはありませんが、
入試もまた教育評価の一部であるとするならば、評価について世間の
耳目が集まったことはよかったのかもしれないと思いました。
学歴社会とか格差問題とか、ずっと社会問題であり続けてきた日本です
けれども、学力は何であり、それはどのように評価されるのかについて、
あまりにも関心が向けられてこなかったと、私は常々感じておりました。
それで、この「麻の葉」でも何度もこの問題を取り上げてきたことと思い
ます。

センター試験に代わる試験が、マーク式と記述式のどちらが適切かという
論争もあったわけですが、どちらの立場も見落としている問題があります。
それは、試験がそもそも期待されているように学力を測定できているのか、
という問題です。マーク式でも記述式でも、みなさん、テスト冊子の表紙に
「英語」と書いてあれば、英語の学力を測ってくれていると素直に信じ
すぎています。

心理学者(あるいは広く社会科学者)という人々は、自分たちが測りたい
ものを正確には測れていないであろうことを前提として、できるだけそれに
近づける努力をしています。「妥当性」という概念表現を用いて、同じモノ
を測ったらいつでも同じ結果になるか(学力で言えば、同じ人が何回受験
しても同じ点数になるかどうか)とか、測った結果は人々を納得させること
ができるか(英語のテストで高い点数を取った人が、ほんとうに英語が
できる人と認めてもらえるかどうか)など、検証を繰り返しているのです。
つまり、テストの科学に関わる人々は、「テストとは常に誤差(測り損ね)
を気にしなければいけない」という前提で動いていることになるのですが、
一般にはそこは気にされていません。このマーク式テストはこういう
学力を測っているはず、この記述式テストはこういう学力を測っている
はず、と思い込んだまま議論を続けています。

例として、令和3年度の共通テストから出題されない方針が決まった
英語の語句整序問題があります。
https://www.dnc.ac.jp/news/20191115-01.html
語句整序とは、英文の途中に空欄が5,6個空いていて、下に選択肢と
して、1) been, 2) by, 3) completed, 4) have, 5) the time, 6) would not
などがあり、並び替えて入れなさい、2番と4番の空欄にはどれが当て
はまりますか、という問題です。みなさんも中学、高校で覚えがあるで
しょう。この問題は、一見すると英文の読解力や文法知識を測るよい
問題と思えます。が、じつは話はそれほど簡単ではありません。
この問題を解く際には、ワーキングメモリーという脳の機能が関わって
きます。それは、たとえて言うならば、頭の中にPCのデスクトップが
あったとして、同時にいくつウインドウを開けるかというものです。
この問題を解くには、前後の英文を読んで文脈をつかむウインドウ、
空欄の文章を日本語で想像するウインドウ、自分の解答の英文法の
正しさをチェックするウインドウ、入れる言葉と選択肢の番号を一致
させるウインドウ等々、たくさんのウインドウを一度に開かねばなり
ません。しかし、このウインドウを広げられるワーキングメモリーには、
個人差があります。それは、英語の学力とは別に、個性の違いなのです。
みなさんも、自分や周囲の人を見比べてみて、ワーキングメモリーが
大きいタイプや小さいタイプの人に思い当たりませんか。

ここで、仮に英文法の知識・技能が同じ程度のAさんとBさんがいたと
します。たとえば、わざと間違った英文を見たときに、どちらの人も
その文法上の誤りを指摘できる英語の学力が等しくあったとして、もし、
この二人にワーキングメモリーの差があったらどうなるでしょうか。
ワーキングメモリーの大きいAさんは語句整序問題で正解して、そうで
ないBさんは正解できないかもしれないのです。「学力」が同じなのに、
テストの点数が違う、という状況が起こり得るということです。

以上は、あくまでも仮りの例でしかありませんが、学力を測るとは、
思われているほど簡単でないということが、少しは伝わりましたで
しょうか。

いまは、インクルーシブ教育も進み、高校や大学の入試でも様々な
合理的配慮が実現しています。車椅子のアクセスや、点字の問題用紙・
解答などはよい例です。しかし、書字障害はどうでしょうか。そして、
上記のようなワーキングメモリーの個性の差は、合理的配慮の範囲に
含まれるのでしょうか。

あらためて、最初の問いに戻ります。「学力は何であり、それはどの
ように評価されるのか」という問いは、ほんとうに難しいです。
一般の人すべてが心理学者の議論を知っているべきとは言いませんが、
難しいということはもう少し知られていてもいいのかなと思います。
参考までに、たとえばネットでも次のようなものを見ることができます。
https://doi.org/10.5926/arepj.55.304
https://doi.org/10.5926/arepj.56.113
こうした方面への理解が広がることを願っております。

最後に宣伝です。
日本で現在刊行中の最古の雑誌『信濃教育』の令和2年2月号の特集
「我が校の校内研修」において、「巻頭提言」論文を依頼されまして、
「授業研究再考:子どもの事実に学ぶ校内研修」と題した論考を寄稿
しました。教室に子どもたちを見ることの意義と意味について、主に
哲学的基盤を論じたものです。近々発刊されることと思います。
私が、教室に居る人になってから20年を経て、初めて書いたことも
たくさんあります。お目に触れることがありましたら幸いです。
http://www.shinkyo.or.jp/08tosyo/index.html#4

村瀬公胤
一般社団法人麻布教育研究所 所長
murase@azabu-edu.net