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「麻の葉」第29号

2019/11/30 (Sat) 23:40
麻布教育研究所通信「麻の葉」第29号

みなさんご存知の通り、毎日のように学校を訪問し、授業研究/校内研に
参加している私です。そんな中で、授業を参観しているとたまに聞くのが、
授業冒頭の先生による次のフレーズです。
「あ、みんな緊張しているかな。先生も緊張しています。でもいつもどおり
がんばりましょうね」
やさしい言葉がけだとは思いますが、一方で、私は、「そんなこと言わなく
てもいいのになあ」と思いながら聞いています。最近は、これを聞くことは
減ってきたようにも思いますが、でも10回に1,2回は聞いているような
気もします。

これを言っている先生ご本人は、たしかに緊張しているのでしょう。しかし、
子どもたちのほうは、緊張しているかというと、必ずしもそうではないよう
に思います。もちろん、ふだんと違う様子なのは、まちがいないかもしれま
せん。でも、それが緊張かどうか、というのは留保しておいていいかなと。
こういうとき、日本語にはオノマトペという便利なものがありまして、この
状況を表すなら、どちらかというと、ワクワクやドキドキのほうがふさわしい
ようなことが多いと思います。ドキドキって、ちょっと緊張とはまた違うの
じゃないかなと思います。
しかし、「緊張していますね」と言われた瞬間に、その状況に緊張という名前
がつけられて、子どもたちも自分のドキドキが緊張だと思いこんでしまう。
先生が、緊張を和らげたいと思って言った一言が、逆に緊張を呼んでしまう
こともあり得るのです。

私は、言霊信仰とまでは言いませんが、言葉が身体を縛ることや、言葉が
実体を作るという作用に、とても興味があります。だからこそ、少なくとも
公的な場では、自分が発する言葉のときには、どの瞬間のどの一言であれ
厳選したいと考えています。(すごく難しいのですけど)

保育や特別支援教育の専門家には広く知られていることの一つに、
禁止命令を避けるということがあります。「廊下を走ってはいけません」
と禁止の命令形を使う代わりに、「廊下を静かに歩きましょうね」と
肯定的な勧誘で伝えるやり方です。
「走らない」という指示は、まず「走る」イメージを鮮明に浮かび
上がらせ、その後それを打ち消ししなければいけない、ということで、
指示の受け手に認知的負荷をかけます。「走ってはいけません」という
言葉を聞いた子どもの頭の中には、強烈に「走っている自分」の姿が
浮かんでしまうものなのです。

さらにその上、禁止命令自体が持つ、ネガティブな感情も考える必要が
あります。大人でも誰でも、「〇〇してはいけません」と言われたら、
瞬間的に嫌な気持ちになりませんか。それは道理でもあって、なにしろ
これに従わないでやってしまったらマイナス評価や罰が待っているのに、
指示に従ったとしてもやっとゼロ、叱られも褒められもしない状況が
構造的に用意されてしまっているからです。
ところが、肯定的な勧誘であれば、従うかどうかは受け手のほうに選択権
が与えられ、従ってみると感謝や賞賛というプラスが待っているのですから、
気持ちがわるかろうはずがありません。
一見すると同じことを伝えているつもりでも、言葉の選択一つで、状況は
大きく変わってきます。

先日のある学校の校内研では、授業者自評のときに、「学力低位児童」と
いう言葉を聞いて、びっくりしました。1970年代までの研究会ならいざ
しらず、平成を越えて令和の時代にもこんな単語を聞いて、授業研究は
この半世紀近く何であったのだろうかと思いました。
しかし、よくよく話してみると、この先生が子どもたちに寄せる思いの
深さ、日々の苦悩と希望がよく伝わってきました。ああ、なんてすてきな
先生だろうと思うと同時に、そういう先生にさえ、あんな言葉を使わせて
しまっている研究会の文脈の頑固さを考えさせられました。

たった一言で、私たちの視野が狭まったり、声が聴けなくなったりします。
たった一言で、私たちの身体が縛られ、実践が痩せ衰えさせられます。

ちょっと考えればわかることですが、「学力低位児童」という単語は、
情報量が乏しくて、テストで点数が高くなかったということしか表して
いません。それよりも私たちが語り合い、考えるべきことは、その子が
「ゆっくりさん」なのか、「ふわふわちゃん」なのか、「うっかりくん」
なのか、ということです。しかも、これらの言葉であっても、それは一回性
のものであって、毎瞬間、更新し続けられるべきものであろうと思います。

自戒を込めてと言いますか、私もまた失敗の山の歴史の上に今日がある
のですが、とにかく言葉は難しい。凡人にできることと言えば、省みる
ことを習慣化することくらいでしょうか。

アクティブ・ラーニングのように、子どもたちに書かせ、言わせる実践が
増えているいまだからこそ、言葉の繊細な綾、玄妙とも言うべき性質を
見つめていきたいです。教育に携わる大人自身がまず、その重みを感じる
とともに、そこに面白さも見出せたらいいなと思います。

村瀬公胤
一般社団法人麻布教育研究所 所長
murase@azabu-edu.net