「麻の葉」第21号
2018/09/30 (Sun) 13:00
麻布教育研究所通信「麻の葉」第21号
今月は学会で発表することが3つも重なりました。
9月1日 「授業研究において「子どもを観察すること」が意味することの分類:
教師のナラティブに注目して-」
@日本教育学会第77回大会
9月15日 「特別支援教育に関する学校現場のニーズと課題」
@日本教育心理学会第60回総会
9月30日 「道徳における「規則の尊重(規範)」と「寛容(ケア)」の相克」
@日本教育方法学会第54回大会
一見すると、全然関係ない分野の発表のように感じられるかと思います。
しかし、私の中で実はつながっていたのだと、最近気づかされました。
それは、佐伯胖先生の次の2冊の近著に接したからです。
『「子どもがケアする世界」をケアする:
保育における「二人称的アプローチ」入門』
佐伯胖編著、ミネルヴァ書房、2017年
https://amzn.to/2N5bwqq
『ビデオによるリフレクション入門:実践の多義創発性を拓く』
佐伯胖・刑部育子・苅宿俊文、三陽社、2018年
https://amzn.to/2QaQg4B
佐伯先生は、発達心理学者レディの著作を参照しながら、
相手を
・同感的に見る「一人称的アプローチ」
・共感的に見る「二人称的アプローチ」
・客観的に見る「三人称的アプローチ」
の枠組みを提示しています。
(これは私の要約が過ぎるので、ぜひ佐伯先生のご本を読んでください)
私なりに佐伯先生の問題提起を引き受けてみますと、
「うんうん、わかるよ」と自分と同一視してわかったつもりになる
一人称的アプローチも、
理論や常識をあてはめて理解しようとする三人称的アプローチも、
人についてわかったことにはならないのではないのか、という問い
になります。
いっぽう、二人称的アプローチとは、踏み込んで言えば、ひとのことは
わからないということ(他者の他者性)を前提としており、わからない
からこそ「応えたい」と願う姿勢(disposition)そのものを指しています。
佐伯先生はこれを、「子どもが『かわいい』と思える人がよい保育者
かというと、そうではない。子どもを『おもしろい』」と思える人が、
よい保育者なのである」という、興味深い表現で述べています。
二人称的アプローチは、教育/保育の実践および研究に、一大転回を
要求しているのではないかと思いますが、私にとっては、これこそが
教育研究をする意味であり続けてきたのだなあと、感じさせられたの
です。
わからない私がわからないあなたと出会い、対話する。この出会いと
対話の連続が、私にとって「学ぶ」ということであり、「生きる」と
いうことだと、ずっと考えてきたように思います。
学会の発表に戻ると、三人称での視点で観察することや、一人称の
同感で支援することは、私には真の観察やケアには思えないのです。
また、道徳に関して言えば、三人称の立場で命令する規範も一人称の
気持ちで受けとめるケアも、やはり真の規範やケアには思えなかった
のです。
前回の「麻の葉」で、自律について検討しました。自律を基底にした
道徳とは、二人称的アプローチです。相互に「あなたのあなたらしさを
尊重する」関係の中で、人ははじめて自律的に存在できます。だから、
あなたらしさとわたしらしさを損なわないために「規範」が必要であり、
どうしたらそれが実現できるのかと問い続けながらあなたの声を聴き取ろう
とすることが「ケア」であってほしいです。
さいごに一つ、うれしいニュースをお知らせさせてください。
長らく編集・執筆に関わってきた本が、ついに出版されました。
“Lesson Study and Schools as Learning Communities:
Asian School Reform in Theory and Practice”
こちらからご覧いただけます→ https://amzn.to/2Q9f2ln
(Kindle版は、お求めやすくなっていますhttps://amzn.to/2y16Dcr)
アジアにおける「学びの共同体」の展開について、佐藤学先生の
巻頭論文と各国の事例を紹介するとともに、歴史的・理論的考察を
加えての構成です。ここに至るまでに、著者、関係者のみなさまと
多くの労力と時間をかけてきたので、感激も一入であります。
ご高覧いただけましたら幸いに存じます。
村瀬公胤
一般社団法人麻布教育研究所 所長
今月は学会で発表することが3つも重なりました。
9月1日 「授業研究において「子どもを観察すること」が意味することの分類:
教師のナラティブに注目して-」
@日本教育学会第77回大会
9月15日 「特別支援教育に関する学校現場のニーズと課題」
@日本教育心理学会第60回総会
9月30日 「道徳における「規則の尊重(規範)」と「寛容(ケア)」の相克」
@日本教育方法学会第54回大会
一見すると、全然関係ない分野の発表のように感じられるかと思います。
しかし、私の中で実はつながっていたのだと、最近気づかされました。
それは、佐伯胖先生の次の2冊の近著に接したからです。
『「子どもがケアする世界」をケアする:
保育における「二人称的アプローチ」入門』
佐伯胖編著、ミネルヴァ書房、2017年
https://amzn.to/2N5bwqq
『ビデオによるリフレクション入門:実践の多義創発性を拓く』
佐伯胖・刑部育子・苅宿俊文、三陽社、2018年
https://amzn.to/2QaQg4B
佐伯先生は、発達心理学者レディの著作を参照しながら、
相手を
・同感的に見る「一人称的アプローチ」
・共感的に見る「二人称的アプローチ」
・客観的に見る「三人称的アプローチ」
の枠組みを提示しています。
(これは私の要約が過ぎるので、ぜひ佐伯先生のご本を読んでください)
私なりに佐伯先生の問題提起を引き受けてみますと、
「うんうん、わかるよ」と自分と同一視してわかったつもりになる
一人称的アプローチも、
理論や常識をあてはめて理解しようとする三人称的アプローチも、
人についてわかったことにはならないのではないのか、という問い
になります。
いっぽう、二人称的アプローチとは、踏み込んで言えば、ひとのことは
わからないということ(他者の他者性)を前提としており、わからない
からこそ「応えたい」と願う姿勢(disposition)そのものを指しています。
佐伯先生はこれを、「子どもが『かわいい』と思える人がよい保育者
かというと、そうではない。子どもを『おもしろい』」と思える人が、
よい保育者なのである」という、興味深い表現で述べています。
二人称的アプローチは、教育/保育の実践および研究に、一大転回を
要求しているのではないかと思いますが、私にとっては、これこそが
教育研究をする意味であり続けてきたのだなあと、感じさせられたの
です。
わからない私がわからないあなたと出会い、対話する。この出会いと
対話の連続が、私にとって「学ぶ」ということであり、「生きる」と
いうことだと、ずっと考えてきたように思います。
学会の発表に戻ると、三人称での視点で観察することや、一人称の
同感で支援することは、私には真の観察やケアには思えないのです。
また、道徳に関して言えば、三人称の立場で命令する規範も一人称の
気持ちで受けとめるケアも、やはり真の規範やケアには思えなかった
のです。
前回の「麻の葉」で、自律について検討しました。自律を基底にした
道徳とは、二人称的アプローチです。相互に「あなたのあなたらしさを
尊重する」関係の中で、人ははじめて自律的に存在できます。だから、
あなたらしさとわたしらしさを損なわないために「規範」が必要であり、
どうしたらそれが実現できるのかと問い続けながらあなたの声を聴き取ろう
とすることが「ケア」であってほしいです。
さいごに一つ、うれしいニュースをお知らせさせてください。
長らく編集・執筆に関わってきた本が、ついに出版されました。
“Lesson Study and Schools as Learning Communities:
Asian School Reform in Theory and Practice”
こちらからご覧いただけます→ https://amzn.to/2Q9f2ln
(Kindle版は、お求めやすくなっていますhttps://amzn.to/2y16Dcr)
アジアにおける「学びの共同体」の展開について、佐藤学先生の
巻頭論文と各国の事例を紹介するとともに、歴史的・理論的考察を
加えての構成です。ここに至るまでに、著者、関係者のみなさまと
多くの労力と時間をかけてきたので、感激も一入であります。
ご高覧いただけましたら幸いに存じます。
村瀬公胤
一般社団法人麻布教育研究所 所長